リージョナル・シアター2025いわきアリオス演劇部Plus『いわき芸術文化交流館アリオス』公演レビュー①
いわき芸術文化交流館アリオスでは、市民と劇作家・演出家が様々な演劇を創作する、市民創作演劇事業「いわきアリオス演劇部Plus」を毎年実施しています。
2026年3月7日(土)・8日(日)に「リージョナル・シアター2025 いわきアリオス演劇部Plus 小野彩加 中澤陽 スペースノットブランク『いわき芸術文化交流館アリオス』」を上演しました。
この上演について、演劇ジャーナリストの徳永京子氏、批評家の佐々木 敦氏から公演レビューをご執筆いただきました。
①では、徳永京子氏によるレビューを公開します。
撮影:鈴木穣蔵
徳永京子(とくなが・きょうこ)
演劇ジャーナリスト。読売演劇大賞選考委員。緊急事態舞台芸術ネットワーク理事。せんがわ劇場演劇事業外部アドバイザー。朝日新聞首都圏版に劇評執筆。ローソンチケットの演劇サイト『演劇最強論-ing』企画・監修・執筆。朝日新聞首都圏版に劇評執筆。ステージナタリーに『眼鏡とコンパス』連載中。著書に『「演劇の街」をつくった男──本多一夫と下北沢』、『我らに光を──さいたまゴールド・シアター 蜷川幸雄と高齢者俳優41人の挑戦』、『演劇最強論』(藤原ちからと共著)。
演劇は拡張している。かつて自明の理だった「文章のプロである劇作家が書いた物語を、訓練された俳優が舞台上で演じ、観客はそれを客席で観る」という構造が、演劇の定義の一項目に過ぎなくなった。これまでも、俳優が何人も出てくるのにほぼ無言の劇や、俳優がせりふと関係のない動きを続けている劇、ダンス作品と呼んだほうがしっくり来るような劇など、一般的なイメージとはかけ離れた種類の演劇が生まれてきたけれど、それでも「演劇をつくる/やる人」と「それを観る人」の間には明確な線が引かれていた。ところが、15年ぐらい前からだろうか、その線が曖昧な演劇がつくられるようになってきたのだ。
誰の中にもある、ちょっと特別な体験や、年月が経っても消化できずにいる出来事、世の中や誰かに対する違和感や共感、日々の思いなどを、言葉や動きや短い劇などにしてアウトプットし、それを演出家がひとつにつなげて演劇作品にする流れが、日本でも世界でも増えている。これはドキュメンタリー演劇と呼ばれ、無名の、個人の、特に劇的でもないエピソード、整えられていない言葉が、多くの場合、本人たちによって舞台の上で、フィクションを混じえて再現される。プロと同じような訓練を受けていないから、時に言葉が聞きづらかったり、動きが揃っていないこともある。なのに、それらが演劇作品として認められ、上演機会が増えているのはなぜだろうか。
私はその理由に“やり直すヒーリング効果”と“肯定感覚の拡張”があると考えている。つくり手に回った人は実体験を一度外に出して人前で直すことで客観性を獲得し、それを見聞きする側は、その話に耳を傾けるうちにパフォーマーの人生を肯定し、同時に、彼らと変わらない地平にある自分の人生を肯定する感覚が持てるのだ。〈自己開示〉が〈他者理解〉へ、そして〈相互理解〉に進む。フィクションが主役だった演劇は、まったく別の役割を持つようになったのだ。

「市民とプロの劇作家・演出家が様々な演劇を創作するシリーズ」と銘打たれているいわきアリオス演劇部Plusの活動はまさにその系譜上にあって、しかも全国的にも珍しく、出演者だけでなくスタッフ部門も市民参加の対象になっている。つまり、照明や運営などに市民が加わることで、つくる側の役割の線引きも溶かしているというわけだ。たとえば美術セットの製作や仕込みは安全性に直結するため、プロだけの現場の何倍ものチェックが必要になるはずだが、それを厭わず継続しているのは、演劇を一面的に捉えていない素晴らしい姿勢だと思う。
3月7日(土)、8日(日)に、いわき芸術文化交流館アリオスのGSユアサいわき小劇場で上演された、いわきアリオス演劇部Plus小野彩加 中澤陽 スペースノットブランク「いわき芸術文化交流館アリオス」は、出演者コース9名、運営・舞台・照明・音響スタッフコース8名を中心に創作された。
作品の話の前にスペースノットブランク(以下、スペノ)について簡単に説明すると、小野と中澤によるコレクティブで、振り付けが特徴的な作品を創作している。振り付けというとダンス作品をイメージする人も多いだろうし、実際、スペノはダンス作品も手がけているが、戯曲の解釈をある形や動きを出発点にした振り付けで演出していくのが特徴で、いわゆるリアリティは重視しないが、理解を拒むのではなく、人懐こい表現を発表している。
このスペノといわき市民の協働とはどんなものになるのか。スペノによる“聞き取り”が作品のベースとは事前に聞いてはいたが、まるで想像がつかないまま客席についた。
するとやはり、最初から一筋縄では行かない仕掛けに迎えられる。開演前から舞台上にひとりの男性がパイプ椅子に座っていて、スケッチブックに向かって黙々と手を動かしている。舞台奥には縦長のモニターが設置され、その男性の顔が大きく映し出されている。だが何が描かれているかはわからない。上演前の注意を伝えるアナウンスが始まっても、出演者が登場して次々とせりふが発せられても、その男性は絵を描き続け、モニターはその顔をアップで映している。

そこからシームレスに開演した約1時間の上演は、私が過去に観たドキュメンタリー演劇とは大きくことなるものだった。まず、出演者から次々と発せられる言葉が、何についての話なのか、前提が明示されない。舞台に集まった人同士で共有されているテーマが明らかにあり、注意深く聞いていくと、それは“ここ”についての話だとわかってくる。ここで何をしたいか、ここをどうしたいか、ここで何ができるか。そうだ、この作品のタイトルは『いわき芸術文化交流館アリオス』だった。けれど登場人物たちが話す“ここ”は、いわき芸術文化交流館アリオスだけに限らない。もっと遠い外に出たり、心の中にフォーカスされたりする。会話の時制がバラバラで、抽象性も高く、全体像がなかなかつかめない。配布されたパンフレットを読むと、この作品の戯曲は「参加者全員から集められた、総時間約700分、18万字の言葉」を、スペノが元の文脈から切り離し、つなぎ、「しかし言葉に宿った体温はそのまま、再構築」したものだとある。なるほどスペノは、大量の個人の言葉をデータベースとし、それをシャッフルし、けれど個人の属性を活かすことで、ドキュメンタリー演劇を個人の体験というプライベート、そこからの癒しには帰結させず、劇場をハブにして、個人の思いが時空を超えても誰かとつながり、ある種の永遠性を持てるよう、それが次の演劇への広がりになるようにと考えたのではないか。
そう思ったのは、谷川俊太郎がアリオス設立時に書いた組詩『アリオスに寄せて』の一編である『ハコのうた』が朗読され、出演者ほぼ全員が舞台上からセット裏を通って何周も疾走したシーンで、バラバラな速度の運動が、この劇場に積み重ねられた、そしてこれから積み重ねられていく、さまざまな時間を表現していると感じた時だった。冒頭の絵を描く人は、“ここ”に最初に置かれた点だったのだ。

先に私は、ドキュメンタリー演劇の効果について“やり直すヒーリング効果”と“肯定感覚の拡張”と書いたが、この『いわき芸術文化交流館アリオス』から生まれたのは、そうした個人への効能、すぐに役立つ演劇の効果ではなく、もっと長い時間を前提に考えられた、壮大な公共性だった。いつもさまざまな意味で驚かされるスペノだが、こうした長大かつ簡単には理解できない取り組みを公共ホールで実施する姿勢に、いつにも増して勇気と痛快さを感じさせてもらった。そして最後に、便宜上、参加者の皆さんについて表現のプロではないと書いたが、この難易度の高い作品が柔らかい感触の仕上がりになったのは、全員の極めて高い理解力と表現力、チャーミングな人間性あってこそということは、よく伝わっている。

●公演情報
リージョナル・シアター2025 いわきアリオス演劇部Plus 小野彩加 中澤陽 スペースノットブランク
『いわき芸術文化交流館アリオス』
〈いわきアリオス演劇部Plus〉
出演:猪狩彰一 鈴木彩心 鈴木睦海 髙橋慧丞 日髙恵理 松本恵美子 山田真奈美 吉原ちとせ 和田朋佳
運営コース:大迫健司 白土和奏
舞台コース:松本真吾 宮島沙音
照明コース:秋葉ゆか 小野 仁 渡邉里美
音響コース:渡辺千晴
演出:小野彩加 中澤 陽
美術:カミイケタクヤ
演出補・出演:古賀友樹
リハーサルディレクター:山口 静
日本語字幕映像制作:小西小多郎
日本語字幕映像オペレーター:加藤菜々子
舞台:中村 晋*
照明:門馬秀明*
音響:落合卓兒*
制作:高木未緒* 萩原宏紀* 村山晴香*
製作:スペースノットブランク
詩:谷川俊太郎『アリオスに寄せて』(2008年)
画:tupera tupera『詩の神さま』(2018年)
シンボルマークデザイン:石井竜也
*はアリオススタッフ



